三代 今西 與兵衛|歴史|株式会社 今与|Imayo & Co., Ltd.|1861 KYOTO

事業を拡大し、ダイヤモンドの取扱いを開始。

三代與兵衛となった儀三郎は、二代與兵衛の長男として1888年(明治21年)に生まれました。明治維新による国制の変化も収束を迎え、1889年には大日本帝国憲法が公布され新橋・神戸間の鉄道が全線開通しました。1895年には京都に日本初の市電が走り始め、広い範囲での流通も始まります。人々の視野がどんどん広がりゆく中、芸術や装飾品を愛することも一般に浸透し始めました。

16才で今与の商売に加わった三代は、祖父と父から商いを学び、成長していきます。大変几帳面な気性でありながらもチャレンジ精神に富み、翡翠・珊瑚・真珠に加えてダイヤモンドの取り扱いも開始しました。京都ならではの趣向を凝らし、美的感覚を生かした目利きで宝飾品中心に取り揃えた品物は目新しく好評で、東京や大阪、名古屋、福岡など各地に拠点を増やすこととなりました。大正から昭和初期にかけての良き時代の今与をがむしゃらな努力で支えながら、京の旦那衆として小間物卸商組合の理事長なども務めました。

しかし、次第に戦争が激化。店舗のあった五条通りが軍用道路に拡張されるため、今与を含む周辺の店舗全てが取り壊されることになり、鳴滝の別邸へ疎開移転を余儀なくされます。思うように商いができない苦しい時代でしたが、長男・信一に宝石の商いを教え込みました。

戦後は信一に商いを譲って、お茶や謡など趣味の世界を楽しみ、風雅な余生を過ごしました。